木鐸社

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『レヴァイアサン』63号 [特集]比較の中の日本政治

ISBN 978-4-8332-1179-6

〔特集の狙い〕比較の中の日本政治 (文責 大西 裕)

 レヴァイアサン63号の特集を「比較の中の日本政治」としたのは、31年前に創刊されたこの雑誌を総括し,原点に一度立ち返るという意図によるものである。
 レヴァイアサンは,1987年10月に創刊された。創刊後いうに掲載された発刊趣意には,当時の日本政治研究の状況に関する強烈な不満と,日本政治研究そのものを主題とするフォーラム提供に対する強い意志が表明されている。強烈な不満とは,当時の日本政治研究は政治史,政治思想史,外国研究者が片手間にやるものであったことと,その分析が評論的,印象論的であって,仮説検証を中心とする科学的態度に欠けていたことに要約できる。
 それゆえ,今後の日本政治研究の方向性として示されるのは,これら旧弊の打破である。それは,発刊趣意を筆者なりに整理すれば以下の5点になる。すなわち,第1に,日本政治研究を政治学の他の領域から自律させることである。第2に,印象論的理解を排し,仮説検証型の科学的な研究手法を導入することである。仮説は検証可能な形で提示されねばならず,検証可能な証拠が示されねばならない。それゆえ,第3に,学問的主張は権威的になされてはならず,自由で活発な批判,反批判を通じて展開されねばならない。第4に,現代日本政治を全体として理解するのではなく,部分的に分析を限定し,いわば中範囲の比較分析と知見の累積により知識体系を構築することである。それゆえ,現代政治分析は,研究作業は個別になされるとしても,全体として見れば個々の研究者で完成されるものではなく,集団的な共同作業となる。第5に,比較の重視である。発刊当時依然優勢であった近代主義的な観点から日本を西欧近代から異質な存在として捉えるのではなく,比較政治学の方法を用いて日本政治の持つ一般性,あるいは特徴を明らかにしていく。そのためには外国の研究者との交流が重要になる。
 レヴァイアサンは,以上に述べた方向性を実現していくフォーラムとして発刊された。この方向性に沿った日本政治研究は,当時の若手研究を中心に発刊された。しかし,政治学論文を発表する場は,大学の紀要か,総合雑誌しかなく,いずれも新しい方向性の論文を受け入れるには適当な媒体とはいえなかったのである。また発刊趣意に直接的な言及はなかったが,レヴァイアサンは投稿論文を歓迎し,日本の政治学に査読制度をはじめて本格的に導入した。
 今日,これら発刊趣意で述べられた日本政治分析の新しい方向性は,ほぼ定着したといっていいであろう。日本政治研究は自律し,それを専門とする研究者層に厚みが増した。これら研究者において仮説検証型の研究は当然の前提となっており,そのための調査・分析法に関する書籍も増えてきている。学問における権威的主張は,まだ完全に払拭されたわけではないが,相当程度希薄になり,出身大学にとらわれない様々な研究グループの登場によって自由な批判・反批判がなされるようになってきている。また,30年ほど前には行政学,選挙研究しか現代政治分析に関する下位単位が活性的でなかったが,現在は,議会研究・議員行動,利益集団,政治参加,公共政策など,部分的でより専門化された研究領域に分かれて研究が進められるようになってきている。加えて,近年における比較政治学の革新が,もはや日本政治を特殊的・孤立的に理解することを不可能にし,近代主義的なとらえ方を学問的には過去のものにしてしまった。日本政治は,比較の中で,比較政治学の方法論を用いて分析しないと正確な理解は得られないし,比較政治学の中に日本の事例を含めることがより求められるようになってきているのである。
 こうした変化と相互作用しつつ,研究発表をおこなう媒体も大きく変化してきている。政治学関連の学会誌のあり方が大きく変わり,少なからぬ特集がレヴァイアサンに寄稿してきた現代政治研究者によって組まれるようになった。各種学会が投稿制度を整備し,査読論文を掲載することが当たり前になってきた。研究大会も,公募企画,自由論題,ポスター発表など,研究者の自由意思をより反映した舞台が用意されてきており,学会発表それ自体が研究者としてのデビュー戦であるかのように見る向きは消滅しつつある。言い換えれば,学会が有力大学の「連合同窓会」ではなく,意見交換の場として機能し始めたのである。レヴァイアサンが果たそうとしてきたフォーラムが,いろんな場で可能となり,日本政治分析をめぐる風土は大幅に改善されてきた。レヴァイアサンが発刊趣意で掲げた大きな目的は,達成されつつある。
 ただし,ある種の「タコツボ化」の危険性が日本政治分析に迫ってきている。
 発刊趣意では,日本政治分析の発展を阻害しているものとして,大学紀要による研究のタコツボ化が挙げられていた。大学紀要はある大学に所属しない限り執筆できない。それゆえ,日本政治研究に必要な研究交流を阻害し,タコツボ型研究を生み出すとされていた。現在の日本政治研究においてこのタイプのタコツボ化は克服されている。懸念されているのは,専門分野単位の「タコツボ化」である。先ほど挙げた,投票行動や議員行動などの,現代政治分析のより下位分野での専門化それ自体は必要だとしても,それらの研究が日本政治分析にとっていかなる意味があるのかが見えにくくなっているのではないか。言い換えれば,専門分化が進み研究が進展してきているがゆえに,日本政治研究全体の見晴らしが不透明になってきている。
 あと一つ,「タコツボ化」として懸念されうるのは,現代政治分析そのものの他の政治学分野,さらには広く社会全体との関係性の薄まりである。今や,政治史,政治思想史を専門とする研究者が片手間に現代政治に関する学術論文を書けるとは誰も考えておらず,日本政治分析の自立性は他分野の研究者にも尊重されている。他方で,日本政治分析が科学化し,方法論的に洗練されるにつれ,他分野との懸隔が,とりわけ他分野研究者から意識されてきている。我々の扱う現代政治が,規範論や歴史から切り離されているわけではない以上,他分野研究者との協力はより実りある成果を生みだしうるし,それら抜きに妥当な政治認識を持てると理解しているとすれば,それは自己肥大的妄想である。日本政治分析の社会からの自律は重要なステップではあったが,関係性の薄まりとなると折角の学問的到達点が社会に還元されず,マスメディアでは学問的に不適切な議論が続くことになる。これは,発刊趣意に述べられた,レヴァイアサン発刊のもう一つの意図である,ジャーナリズムの改善に日本政治分析が寄与しないことを意味する。
 こうした,新たな「タコツボ化」を回避し,現代政治分析を発展させるためには,レヴァイアサンでの達成を引き継ぎつつ,新たなフォーラムを構築していくことが必要となろう。
 今号の特集では,専門分化した,現代政治分析の下位分野の到達点を確認しつつ,日本政治分析全体としての見通しを持つことを意図した。各論文が取り上げるテーマは,イデオロギー,政治参加,議員行動,行政学,都市論と様々であり,かつ現代政治分析の全ての分野をカバーしたわけではないが,すべての論文を読むことde,今七位が日本政治分析で論じられるべきなのか,大まかな方向性を得ることができるのではないか。各論文は,レヴァイアサンで多くの論文が採用してきた,比較の中で日本政治を分析する,あるいは日本政治を一時例として比較の中に位置づける,のいずれかで議論を展開している。
 レヴァイアサンは,本号を以て終刊とし,定期刊行を終えるが,それは,日本政治分析をステップアップさせるための一里程と考えたい。現代日本政治はまだまだ未解明のクエスチョンにあふれている。本号特集が,レヴァイアサンが作り出した研究潮流の一層の展開,次のステップにつながることを期待する。
 レヴァイアサンはこれまで多くの研究者の寄稿によって維持され,また現代日本政治に関心を持つ多くの読者によって支えられてきた。これら全ての方々に感謝の意を表する。


目次
<特集論文>
左ー右イデオロギー理解の国際比較 ウィリー・ジョウ
遠藤 晶久
竹中 佳彦
欧州懐疑の中の排外主義 ─イギリスにおける「移民」争点─ 若松 邦弘
投票参加における社会経済的バイアスの国際比較と日本 山田 真裕
比較議院研究への一試論:
京都大学・読売新聞共同議員調査の分析を通じて
建林 正彦
外圧と行政改革 前田 健太郎
大都市を比較する ー日本の都市は「大きい」か? 砂原 庸介
<研究動向>
経済投票に関する認知バイアスをめぐる研究の動向
ー修正主義から経済投票の再確認へー
大村 華子
<書評論文>
政治家にとっての政党の役割ー戦前日本について考える
 手塚雄太『近現代日本における政党支持基盤の形成と変容ー「憲政常道」から「五十五年体制」へ』ミネルヴァ書房,2017年
 西山由理花『松田正久と政党政治の発展ー原敬・星亨との連携と競合』ミネルヴァ書房,2017年
岡山 裕
誰の何のための選挙制度改革(の失敗)か?
 建林正彦著『政党政治の制度分析ーマルチレベルの政治競争における政党組織』千倉書房,2017年
 砂原庸介著『分裂と統合の日本政治ー統治機構改革と政党システムの変容』千倉書房,2017年
小川 有美
多彩な手法で明らかにする政治の語られ方
 稲増一憲『政治を語るフレーム 乖離する有権者,政治家,メディア』東京大学出版会,2014年
逢坂 巌
伝統的な論点に独自の切り口から挑む労作
 岡田陽介著『政治的義務感と投票参加ー有権者の社会関係資本と政治的エピソード記憶』2017年,木鐸社
今井 亮佑
第一人者による17年間にわたるネット選挙研究の集大成
 岡本哲和著『日本のネット選挙ー黎明期から18歳選挙権時代まで』法律文化社,2017年
三輪 洋文
「地域」を把握する難しさと面白さ
 岡田勇著『資源国家と民主主義』名古屋大学出版会,2016年
松尾 昌樹

◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」62号

飯田 敬輔

 久しぶりにサバティカルをとり米国に来ている。学生時代を過ごした街であることもあり,昔から変わらぬところと変化したところがどうしても目に付く。気さくでフレンドリーな国民性は健在である。ハイテクな国なのにもかかわらず,よく物が壊れたり故障したりするのも今も昔も変わらない。かたや国の政治状況は一変してしまったように思える。学生だった当時はレーガン政権の時代で,やや心の余裕が失われつつあったが,ある程度は威厳のある政治や外交が行われていたように記憶している。今は一風変わった大統領のせいか,これが世界で唯一の超大国の政治かと目を疑いたくなる。米国の政治学は私の理解できる範囲を超える域まで進歩してしまったが,現実の政治にはまったく役に立っていないようだ。

大西 裕

 レヴァイアサン発刊当時,私は学部4年生であった。以来レヴァイアサンは大学院生時代,研究者として就職後を通じて常にそばにある存在である。巻頭言を書くにあたり,創刊後発刊趣意を読み直したが,創業者世代の危険なまでに若く挑戦的な熱意に改めて驚かされた。その雑誌を終刊とするのは大変寂しい限りであるが,一旦区切りをつけるべき時に来ているとも感じる。しかし,創業者世代の日本政治研究にかける熱意は,何らかの形で引き継いでいきたい。レヴァイアサン投稿は研究者としての目標だったし,編集に携わるようになってからは多くの現代政治研究者とご一緒し,またとない経験をすることができた。レヴァイアサンに関係された全ての皆さんに感謝する。ありがとうございました。

鹿毛 利枝子

 院生時代,毎年2回の『レヴァイアサン』の公刊を楽しみに,わくわくしながら大学の書店に向かったものである。その頃から学会の状況は大きく変わった。少しでも刺激的な誌面を作ることはできただろうか。8年間編集を務めさせて頂いたが,特集論文から査読に至るまで,大変多くの方々にお世話になった。お一人お一人お名前を挙げることはできないが,厚くお礼を申し上げたい。

増山 幹高

 国会は霊廟風と言われる。ハンガリー議会を思わせるものから九段会館のような帝冠様式までが検討されたが,古代ローマの「民衆離反」の故事からウィーン分離派と呼ばれる19世紀末の建築様式が採用されたそうである。総合芸術の思想的な影響の下,絵画,工芸,建築の統合を目指す造形芸術運動が議会建築に及ぼした時代的精神は興味深い。議会は宮殿転用も多く,神殿風でもあるが,都市空間的な制約から一般道に接したりすると,博物館と区別し難いこともある。フィンランド議会は国会と同時期に完成しているが,北欧的な質実さを超えて威圧的でさえある。ペンタゴンに次ぐ巨大建築物とされるルーマニア議会は独裁者の権力を誇示する一方,丘の一部として建築されたオーストラリア議会は国民への開放性を象徴する。本誌の政治学における意義も21世紀への転換期における学術運動として検討されることを期待したい。

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