『レヴァイアサン』59号 特集 大阪の都市政治を分析する
ISBN978-4-8332-1175-8 C1030 2016年10月15日発行
〔特集の狙い〕大阪の都市政治を分析する (文責 大西 裕)
「都市の空気は自由にする」とは,中世ドイツの格言である。フランス革命は大都市パリを主要な舞台とし,アメリカ独立革命はボストン茶会事件から始まった。政治における都市の重要性は改めて指摘するまでもないであろう。その都市の中でいかなる政治が展開されるのかも当然に重要である。しかし,日本の現代政治分析において,都市政治の分析は決して主要な分野ではなかった。加茂利男の一連の業績や三宅・村松編などの先駆的な研究はあるが,その重要性や面白さが十分認知されたとは言えず,都市政治論の多くは都市論の一環として政治文化論・政治経済学の中に埋め込まれるか,行政学の一分野としての地方自治論に包括されるにとどまっていたように感じられる。
もちろん,都市論や地方自治論の中で位置づけられることが誤りであるというわけではない。都市論の醸し出す知的豊穣さは都市を理解する上で必要であり,地方自治論の持つ,制度的枠組みや行政管理的要素の重要性は現代都市政治の理解に欠かせない。しかし,こうした要素の強調が,近年の現代政治分析と齟齬を来しており,後者の理論や方法論的革新の成果を都市政治分析が十分吸収できず,その展開に一定の壁を作っていたように思われる。
その一方で,現実政治においては都市政治の重要性が顕在化してきていた。象徴的な事例が大阪を舞台とした橋下徹率いる大阪維新の会の活躍と大阪都構想の展開である。橋下の言動は逐一メディアに取り上げられ,全国的な話題を呼んだ。大衆扇動政治(ポピュリズム)との指摘は常につきまとい,扇動される大阪市民の政治的リテラシーが問題にされることもしばしばであった。彼らの行動は大都市制度,言い換えれば地方自治制度を変え,地域政党に過ぎなかった大阪維新の会の国政への進出にまでつながりもした。
彼らの行動に,ジャーナリズムを通じて多くの政治学者が巻き込まれたことも大きな特徴であろう。橋下の言動に違和感を持ち行動した研究者は少なくなく,橋下政治のドラマに引き込まれていた感もあった。他方で,橋下が引き起こしたドラマティックな大阪の都市政治は,政治学者の関心を引き,実証的な分析がおこなわれるようになっている。2016年の選挙学会において分科会「大阪都構想とは何だったのか」が設置されたのはその証左である。ただしその動きはまだ少なく,圧倒的な関心はジャーナリスティックなそれであったといえるであろう。 アカデミックな都市論・地方自治論とジャーナリスティックな橋下政治論は対称的である。印象論になるが,前者のうち,都市論を本当に理解するためには人文的教養を必要としており,エレガントで高尚である。地方自治論にそれほどのエレガントさはないが,ある程度の法律学的素養と行政実務に通じている必要がある点で,単純明快というよりは複雑かつ含蓄が求められるように思われる。他方で後者は,現実政治的には重要であるかもしれないが,議論としてはやや粗暴さが目立つ。橋下に賛同する者も批判する者も善悪二元論に陥り,ある意味で単純明快ではあるが,反知性主義的な趣すら感じられる。
今回の特集は,これらの動向に対する強い違和感と絶好の機会の到来感からなされている。ポイントは二つである。一つは,都市政治の分析に現代政治分析の理論とアプローチを導入する意義である。新制度論の台頭を契機とした,現代政治分析における理論の革新と,歴史的叙述および比較的単純な計量分析を抜け出して多様な分析手法の開発が進んだことが,都市政治をより深く分析することを可能にしている。都市政治といっても,現代政治分析が対象としてきた,有権者,政党,議員などのアクターと政治過程や政策過程を分析することに変わりはない。一般化を志向する現代政治分析の理論と方法論は,都市論や地方自治論に比べて無骨であり文化的な洗練さに欠けるかもしれないが,人間は複雑な者を複雑なまま理解することに長けておらず,全体論的な理解よりも多くの理解を促進することはこれまで経験してきたことである。何よりも,政治現象は経済的・文化的要素から説明されるより,まず政治的要素によって説明されるべきである。もう一つは,大阪の事例が持つ研究意義の大きさである。橋下個人やポピュリズムに大阪の都市政治を還元する限り,そこに現代政治分析をおこなう意義は見いだしにくいかもしれない。しかし都市政治を構成する個々の要素に着目すれば,この間の大阪の都市政治は政治学的面白さに満ちている。都構想をめぐる中央-地方関係,地域政党,住民投票,公企業の民営化,改革主義,議会政治の激変など,都市政治の分析が現代政治分析の理論に貢献する可能性が大きいのである。「大阪」を論じるのではなく,大阪を事例として都市政治を議論することの意味がここにあると言える。本特集所収の論文はいずれもその試みである。
北村論文は,大阪都構想をめぐる政治過程を題材に,いわゆる橋下政治を中央地方関係と執政-議会関係という地方政府をめぐる基本的な制度配置から説明する。これら二つの制度は,都市政治のリーダーシップを制約していると考えられるが,政党政治を関与させると両制度の影響はより複雑になる。リーダーシップがよって立つ政党の存在が,リーダーの主張を国および地方議会に飲ませることにつながるのである。これを北村は分析的叙述を用いながら証明する
秋吉論文は,市営地下鉄と水道事業の民営化の政治過程を題材に,橋下市政の失敗について論ずる。橋下市政は財政危機に直面した大阪市を再建させるためにドラスティックな財政見直しや効率化をおこなう改革主義者の側面がある。地方公営企業改革その一環として理解できるが,橋下は最重要課題の一つに掲げたにもかかわらず民営化に失敗した。秋吉はその理由を橋下自身のフレーミングの失敗に求める。本質的な問題とは異なる方向でのフレーミングがかえって改革案への反発を招いたプロセスを,言説分析を用いながら証明する。
善教論文の焦点は有権者である。2015年に実施された大阪都構想を問う住民投票において,都構想が否決された理由を,善教は大阪市民の批判的志向性に見いだす。有権者の政治行動を,意識調査を通じて分析し,大阪市民は扇動される存在ではなく自律的に判断可能な市民であることを示す。しかし同時に今回の事例を通じてこれまで独立変数として政治行動論で重視されていなかった批判的志向性の重要性を示し,大阪に限定されない一般的メッセージを主張する。
飯田論文は議員行動にフォーカスを当てる。2010年に結成された大阪維新の会に所属する議員の大半は,もともと自民党議員であった。彼らがなぜ自民党を離党し,維新の会に移動したのか。飯田は再選,昇進,よき公共政策の実現という議員の基本的な選好のうち,とりわけ再選とよき公共政策実現に基づいて説明する。すなわち,選挙に弱い議員,選挙区の財政力が弱く都構想が財政強化に役立つと考える議員が,大阪維新の会に移動するのである。この分析を通じて,飯田は中選挙区制下における議員の離党行動に議論を敷衍し,一般化を図る。
中井論文の焦点は新党台頭現象としての大阪維新の会である。地域政党の出現,台頭はこれまでも日本で見られた現象ではあるが,大半は長続きせず衰退している。大阪維新の会はおそらく地域政党としてもっとも成功した事例である。その台頭は橋下の登場と密接に関連して理解するのが常識であったが,中井はそのような大阪固有の文脈を離れても十分に理解可能であると主張する。すなわち,東欧で見られたような反エスタブリッシュメント改革志向政党台頭の条件に大阪が置かれていたわけであり,相当程度抽象化が可能で政党システム論的に説明することが可能なのである。
本論ではないが,本特集を通じて理解されるのは,大衆扇動政治のレッテルを貼ることで我々がいかに思考停止に陥っていたかである。現代政治分析には都市論ほどの香り高さは不要かもしれないが,過度の単純化を防ぎ政治への深いまなざしを与えることは出来るのである。
都市政治については,近年現代政治分析が活性化する兆しがある。加茂・徳久編や砂原はそれにあたる。今回の特集は大阪一つにとどまるが,都市は一国内でも多く存在するため,むしろラージN研究に適している。曽我論文はその方向性を示しており,本特集とは別の形で都市政治から現代政治分析に貢献する可能性を見いだすことができる。リノベーションを期待したい。
【参考文献】
1 主なものに,『都市の政治学』(自治体研究社, 1988年)
『世界都市-「都市再生」の時代の中で』(有斐閣, 2005年)
2 三宅一郎・村松岐夫編『京都市政治の動態』(有斐閣,1981年)
3 加茂利男・徳久恭子編『縮小都市の政治学』(岩波書店,2016年)
4 砂原庸介『大阪-大都市は国家を越えるか』(中公新書,2012年)
5 曽我謙悟「縮小都市をめぐる政治と行政―政治制度論による理論的検討」(加茂・徳久編『縮小都市の政治学』)所収
目次 | |
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<特集論文> | |
大阪都構想をめぐる政治過程 -「有効な脅し」による都構想の推進 | 北村 亘 |
橋下改革における民営化の失敗 -ポピュリズム的政治戦略の限界 | 秋吉 貴雄 |
都構想はなぜ否決されたのか | 善教 将大 |
自民党大阪市会議員の大阪維新の会への鞍替えの分析 -中選挙区制下の再選欲求と潜在的政策選好 | 飯田 健 |
安定政党システム下での腐敗認識と新党台頭 -一例としての大阪維新の会 | 中井 遼 |
<独立論文> | |
内戦における暴力行使の帰結 -空間計量経済/統計モデルによるアプローチ | 伊藤 岳 |
<書評論文> | |
政権期民主党の政党組織 前田幸男・堤英敬編『統治の条件:民主党に見る政権運営と党内統治』 千倉書房,2015年 |
梅田 道生 |
制度の選択、有権者の選択 坂井豊貴著『多数決を疑う:社会的選択理論とは何か』岩波新書、2015年 砂原庸介著『民主主義の条件』東洋経済新報社、2015年 平野浩著『有権者の選択:日本における政党政治と代表制民主主義の行方』木鐸社、2015年 |
遠藤 晶久 |
占領期研究の到達点と新たな可能性 天川晃『占領下の日本 国際環境と国内体制』現代史料出版、2014年 天川晃『占領下の議会と官僚』現代史料出版、2014年 天川晃『占領下の神奈川県政』現代史料出版、2012年 |
下村 太一 |
<書評> | |
昭和戦前期・戦時期の日本政治に表れる権威主義体制下の立憲政治 米山忠寛著『昭和立憲制の再建:1932~1945年』千倉書房、2015年 |
評者=今井 真士 |
多民族社会における民主主義成立の条件を探る 中井 遼著『デモクラシーと民族問題:中東欧・バルト諸国の比較政治分析』勁草書房、2015年 |
評者=遠藤 貢 |
加害者としての大衆、被害者としての民間人 奈良岡聰智著『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか第一次世界大戦と日中対立の原点』 名古屋大学出版会 2015年 奈良岡聰智著『「八月の砲声」を聞いた日本人第一次世界大戦と植村尚清「ドイツ幽閉記」』 千倉書房 2013年 |
評者=多湖 淳 |
「制度」をめぐる戦略的攻防 梅川 健著『大統領が変えるアメリカの三権分立制:署名時声明をめぐる議会と の攻防』東京大学出版会,2015年 |
評者=辻 陽 |
競争的権威主義体制下の地方政治のダイナミクス 油本真理『現代ロシアの政治変容と地方:「与党の不在」から圧倒的一党優位へ』東京大学出版会、2015年 |
評者=東島 雅昌 |
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」59号
飯田 敬輔
世界を排外主義が席捲しつつある。トランプ旋風はとどまるところを知らない。イスラム教徒の入国禁止は共和党の綱領には盛り込まれなかったが、メキシコ国境の壁建設は約束された。当選した暁にはイスラム排除も実現しようとするであろう。大西洋対岸では、英国がEUからの離脱を決めた。原因は、移民・難民の流入と、それをEU側で一方的に決めていることに対する不満にあるらしい。このように似た現象が大西洋両岸で起きていることを政治学的にはどう理解したらよいのであろうか。国際政治学では2000年代に規範の国際的伝播が盛んに研究されたが、もっぱら米国の自由主義的規範が世界に伝播するという内容であった。2010年代の世界ではもっと恐ろしい規範の伝播(あるいは共振)が進んでいるようだ。
大西 裕
今回の参議院選挙では,投票者総数に対する期日前投票者数の割合が27.5%まで増加した。4人に1人は投票日でない日に投票したことになる。他方,今回の選挙では,期日前投票者は増えているのに投票率が伸び悩んでいるとの報道が多かった。私たちの間には,期日前投票は投票率向上に資するとの神話があるように思われる。報道関係者のみならず,選挙管理の実務にあたる人も大変な労力を割いて期日前投票を管理するのは投票率を上げるためであると考えているし,そのための選挙管理費用も馬鹿にならない。しかし,期日前投票制度が投票率向上をもたらしているという実証的な証拠はない。海外の研究では事前投票制度が投票率を向上させるわけではないという報告の方が多い。むしろ,十分な選挙情報に接さないまま投票することで選挙の質を下げている可能性がある。様々な投票環境改善措置にもかかわらず投票率が下がり続けているのには別の理由がある。そちらに目を向けるべきであろう。
鹿毛 利枝子
今進めている共同研究プロジェクトの一環として,全都道府県に情報公開請求を行った。請求が認められると,文書のコピー代と送料を納付する必要があるのだが,この費用の支払いを現金書留で求めるところ,振込用紙で求めるところ,コピー代は振込,送料は切手の送付を求めるところ,等々,各都道府県でまったく仕組みが違う。ただでさえ細かい作業は大の苦手なのだが,4月の慌しい新学期の時期に重なったこともあり,大混乱に陥った。いくつかの県には二重に費用を支払ってしまう始末で,関係の方々に多大なご迷惑をおかけしてしまった。そんな中,大変助かったのは鳥取県であり,請求した文書を無料でpdf形式で送ってくれた。ほかの都道府県もこうならないものだろうか。
増山 幹高
上院改革を検討するイタリア議会を調査した。議場の状態を鏡のように会議録に残そうとする姿勢には驚いた。例えば,本会議で勝手に言い合いする議員の発言も可能な限り記録しようとする。会議録作成は言語環境にも大きく左右される。56号の座談会に参加頂いた松田謙次郎先生は,「場合」に「ばあい」「ばやい」の異なる読みがあることから,その歴史的変遷を分析している(http://doi.org/10.15084/00000841)。我々の国会審議映像検索システム(http://gclip1.grips.ac.jp/video/)も会議録を「場合」で検索し,実際の音声を確認するという分析に活用されている。映像検索の思ってもいなかった使い方であるとともに,国会の会議録作成ではこうした言語処理も必要であることに改めて気づかされた。