『レヴァイアサン』53号 特集 「一党優位制後」の比較政治学
ISBN978-4-8332-1169-7 C1031 2013年10月15日発行
〔特集の狙い〕「一党優位制後」の比較政治学 (文責 鹿毛 利枝子)
本特集は,一党優位制に代わる政権党が登場した場合,それが一党優位制の終わりを告げるかどうかは別として,どのような制約。課題に直面し,どのような条件の下でそれらの制約。課題が克服されるのか,を探るものである。沖縄問題への対応,原発問題への対応を筆頭に,一般に民主党政権の3年間は,失政の連続で自滅したものとされる。またその失敗の要因は鳩山由紀夫や菅直人,野田佳彦といった総理大臣個人に帰せられることが多い。しかし一党優位制の下での新政権党の政権運営の成否は,総理大臣の資質という個人的な要因だけでなく,より構造的。制度的要因の影響も受けるはずである。本特集は,2009年からの民主党政権のパフォーマンスを,一党優位制における新政権党のパフォーマンスという,より比較政治学的な観点から考察しようとする試みである。
一党優位制は国際的にも珍しいものではない。サルトーリの古典的研究では日本以外にもインドやウルグアイ,スウェーデン,ノルウェーが一党優位制として分類されているし,T. J.ペンペルは日本とスウェーデン,イタリア,イスラエルだけでなく,ゴーリスト期のフランス,終戦直後から大連立に至るまでの西ドイツCDU/CSU,1935年から1949年までのニュージーランドなども例に挙げる。「競争的選挙の下で4期続けて議席の過半数を占め続ける政党」というサルトーリの定義を用いるならば,1930年代から90年代までのアメリカ連邦議会(民主党)や,1979年から1997年までのイギリス(保守党)なども該当し,またやや定義を緩和して権威主義体制時代の選挙も含めるならば,メキシコや台湾なども一党優位制として位置づけうる。
一党優位制が珍しくないものであれば,一党優位制の下の政権交代も珍しくないはずである。しかし一党優位制の下で新たな政権党が登場した場合,そのパフォーマンスがどのような条件に規定されるかについては,これまで十分に理論的な検討が加えられてきたとはいえない。本特集では,この点を考察するため,気鋭の研究者に国内外の事例についてご寄稿頂いた。
本特集の論文からは,新政権党の政権運営の成否を規定する条件として,少なくとも四つの要因が浮かび上がる。
一つは一党優位制そのものである。本特集の上川論文が指摘するように,一党優位制の下ではその定義からして野党は「万年野党」であり,統治経験を積むことができない。したがって,たまたま政権を獲得したとしても,単純に統治ノウハウの不足から失敗に終わることも珍しくないものと思われる。予算編成をはじめとして,与党としての仕事の仕方を一から学ばなければならないからである。上川論文の指摘するように,この点は政権交代前にも,たとえば実現可能性のあるマニフェストの策定を困難にするなど,選挙戦略面でも野党の不利に働く可能性があるが,運よく政権を獲得できたとしても新政権党のパフォーマンスに対する制約として働く。とすると,政権交代後の新政権党のパフォーマンスは,新政権党の統治ノウハウの「学習の速さ」に影響される可能性がある。もっとも,この点では,政権交代時点における民主党は,まったく統治経験がゼロだったわけではない。小沢一郎や鳩山由紀夫,菅直人をはじめとして,1990年代までに与党幹部や閣僚としての経験を積んだ政治家を何人か抱えており,それらの政治家が民主党内でも指導的立場にあった。統治経験が全くゼロの状態から始めることを考えれば,民主党はむしろ比較的恵まれた条件から出発したともいえるのかもしれない。他方,後に述べるように,この過去の統治経験は,三浦論文の指摘する,政権交代後の民主党のカルテル政党化に拍車をかけた可能性があり,その意味で民主党にとっては諸刃の刃であった可能性もある。
二つ目は,政権交代をもたらした背景要因である。そもそも一党優位制が長く続いた国において,優越政党以外の政党が政権を握るというのは,きわめて例外的な事態である。これまでの研究が明らかにしてきたように,2009年に自民党が敗北した一つの要因としては経済状況の悪さが挙げられるが,上川論文の指摘するように,その経済状況の悪さは税収の低迷ももたらすとともに,民主党をみつめる世論の厳しさにも繋がり,新政権党である民主党に対する足枷として働いた。このような前提条件の厳しさは,民主党に限らず,一党優位制に代わる新政権党に共通するものと思われる。
三つ目の要因としては,新政権党内の力学が挙げられる。三浦論文の指摘するように,民主党は野党時代には選挙至上主義的な行動をとりながら,政権に就くと統治の論理を優先したカルテル政党的な行動をとるようになった。三浦のいうように,同じ政権党の中で選挙至上主義とカルテル行動がせめぎあうこと自体は珍しいことではなく,政権時代の自民党においても観察されることである。しかし三浦が子ども。子育て支援政策の事例を通して浮き彫りにするように,民主党政権の場合,選挙至上主義的行動。統治正統的行動の間の均衡を図ろうとするのではなく,選挙至上主義を放棄する選択をした。この要因として,三浦論文は選挙至上主義をめぐる対立が「小沢対反小沢」の対立として矮小化されて認識されたという党内力学的要因を指摘するとともに,そもそも民主党と支持層の間の関係が脆弱だったという,より構造的な要因も挙げる。これらの指摘からは,民主党の失敗が必然ではなく,党内においてより選挙至上主義的な勢力が主導権を得ていたならば,世論の支持を得るという点ではもう少し成功を収めていた可能性を示唆する。
新政権党のパフォーマンスを形成する四つ目の要因としては,制度的な要因が挙げられる。本特集では,日本とメキシコ,アメリカの事例との対比も行うが,高橋論文はメキシコの事例を用いて,2000年の政権交代前後の公共投資の地域的分布を分析し,第一期では政権党であるPANの支持基盤に優先的に公共投資が振り向けられたのに対して,第二期では州の規模に応じて一律に財源が配分されるようになり,政権交代後の第一期政権と第二期政権において配分パターンに顕著な変化がみられると指摘する。この理由として高橋論文は,一党優位制の下で構築された既得権益構造を打破するにはある程度の時間が必要な点を指摘する。
高橋論文は日本とメキシコの間の重要な違いも示唆する。日本の場合,2010年夏の参議院選挙で民主党が敗北し,政権獲得から一年も経たないうちに「ねじれ」状態に陥ってしまった。これが民主党の政権運営の大きな足枷となったことは既に多くの論者が指摘する通りである。他方,メキシコでは2000年に政権交代が起きた後,しばらく大型の選挙がなかったため,PANはある程度時間をかけて政権運営ノウハウを獲得し,その学習の成果を実践に移すことができた可能性がある。このあたりの差については,大統領制と議院内閣制の違い,また国毎の選挙スケジュールの違いが新政権党に与えられた「猶予期間」を規定する点が示唆される。 大統領制における大統領の交代を取り上げた高橋論文に対して,大統領制の下での議会多数党の交代を取り上げたのが待鳥論文である。待鳥論文によると,アメリカでは1995年と2011年に多数党が交代しているが,法案通過率としては,多数党交代直後の1995年の方が2011年よりもむしろ高い。ギングリッチ革命が,議会多数党としての経験の乏しさを露呈しなかったとはいえない。連邦政府の無予算状態を作り出したのも,一面では経験不足だったといえよう。しかし法案通過率としては,多数党としての経験の乏しかった1995年よりもむしろ2011年の方が低くなっており,待鳥論文の述べるように,議会多数党としての立法戦略は,多数党内部のダイナミクスに規定される面も大きいといえる。待鳥論文の指摘するように,大統領制の下における議会多数党の交代は,議院内閣制における政権交代と必ずしも同一線上に理解することはできないが,多数党のパフォーマンスに対する党内ダイナミクスの重要性の指摘は,本特集における三浦論文の主張とも重なるものである。
残念ながら本特集では事情により議院内閣制における一党優位制下の政権交代の事例を日本以外に取り上げることができなかったが,一党優位制の下での新政権党のパフォーマンスを規定する要因については,まだまだ多くの研究の余地が残されている。本特集がさらなる比較研究の発展に繋がれば幸いである。
目次 | |
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<特集論文> | |
民主党政権の失敗と一党優位政党制の弊害 | 上川 龍之進 |
政権交代とカルテル政党化現象:民主党政権下における子ども・子育て支援政策 | 三浦 まり |
メキシコにおける政権交代とその政治的・政策的帰結 | 高橋 百合子 |
アメリカにおける多数党交代と議会内過程 | 待鳥 聡史 |
<研究ノート> | |
地方政党の台頭と地方議員候補者の選挙戦略:地方議会議員選挙公報の分析から | 砂原 庸介 土野レオナード・ビクター賢 |
<書評論文> | |
補助線としての雇用 -福祉レジーム論の比較的検討- 近藤正基著『現代ドイツ福祉国家の政治経済学』ミネルヴァ書房,2009年 中島晶子著『南欧福祉国家スペインの形成と変容』ミネルヴァ書房,2012年 加藤雅俊著『福祉国家再編の政治学的分析』御茶の水書房,2012年 |
宗前 清貞 |
<書評> | |
「外交史」と「運動史」が交錯するとき 朴正鎮著『日朝冷戦構造の誕生 1945-1965:封印された外交史』平凡社,2012年 |
評者=井上 正也 |
「ジェンダー政治」の政治学的分析に向けて 辻由希著『家族主義福祉レジームの再編とジェンダー政治』ミネルヴァ書房,2012年 |
評者=近藤 康史 |
大戦間期中欧でおmクラシーの史的分析と理論的含意の抽出 中田瑞穂著『農民と労働者の民主主義:戦間期チェコスロヴァキア政治史』名古屋大学出版会,2012年 |
評者=城下 賢一 |
ヨーロッパ政党政治の変動をとらえる Airo HINO, New Challenger Parties in Western Europe, A comparative analysis, 2012, Routledge |
評者=建林 正彦 |
ブラックボックス解明をめざす挑戦 井手弘子著『ニューロポリティクス』木鐸社, 2012年 |
評者=堀内 勇作 |
ミクロとマクロを繋ぐ日本政治論 大村華子著『日本のマクロ政体:現代日本における政治代表の動態分析』木鐸社, 2012年 |
評者=森 裕城 |
昭和経済界の風雲児・鮎川義介:自動車と満州から見た日米関係 井口治夫著『鮎川義介と経済的国際主義』名古屋大学出版会,2012年 |
評者=米山 忠寛 |
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」53号
飯田 敬輔
先日,ある予備校の方から取材を受けた。その中で,「研究者になるために必要な資質は」と聞かれたので,「絶対必要条件は旺盛な知的好奇心」と答えた。これには異論はあるまい。そこまではよいが,はずみで「知的好奇心は持って生まれた天性のようなもので努力だけでは何ともしがたい」と付け加えてしまった。これが本当であるかどうか,さほど自信はない。実は,これが嘘であってほしいと最近では思うようになってきた。ある一定の年齢を過ぎると少しずつ知的好奇心も衰えてくるような気がするからである。とすると,これは何とか努力でカバーするしかあるまい。「かつて知的好奇心を持っていた人は一度失ってもリカバリーは可能です。」次回のインタビューではこう答えようかと思う。
大西 裕
Facebook,Twitterなどのソーシャルメディアが政治に重要な影響を与えている。ネット選挙解禁は,日本政治もついにそれを公認したということなのだろう。しかし,ソーシャルメディアが政治過程にどのような影響を与えるのか,研究はこれからである。意地悪くいえば,動員コストが格段に低いとはいえ,街頭デモなど既存の政治手段の延長線上で理解できるものかもしれない。他方,インターネットを用いた調査研究は格段に進んできた。政治学では実験は,重要ではあってもコストの高さや倫理上の問題故あまり行なわれてこなかったが,ネットを使ったサーベイ実験の普及で,ある種の実験は相当容易になった。ただし,調査会社が被験者に与えるインセンティブには差があり,結果に影響を与える可能性がある。彼らの特性を共有することも重要になりそうである。
鹿毛 利枝子
本特集の編集を担当した。2009年の政権交代後,民主党に対する風当たりが徐々に強まるのを,やや違和感をもって眺めていた。民主党は政権党という「職場」におけるいわば「新入社員」であり,新入社員の仕事の出来が悪いのはむしろ当然である(むろん,出来が悪いにしても程度問題はあるかもしれないが)。しかも「社内」に頼れる「先輩」もいない中(当然のことながら「先輩」は足を引っ張るばかりである),新入社員の出来が悪いからといって袋叩きにするのは何か違うような気がした。その「新入社員」の経験やそのパフォーマンスを規定する要因をもう少しきちんと理論化する方向に進めないかと組んでみたのが今号の特集である。一つ問題提起ができたならば幸いである。
増山 幹高
講義で解説する立法過程も二大政党時代のものへと重点を移行させようかと思っていたが,昨年の総選挙で非自民勢力の分裂度は小選挙区導入時の状態に戻ってしまい(本誌前号拙論参照),また7月の参院選は自民党の圧勝に終わり,衆参ねじれ状況が解消することとなった。一党優位体制における与党審査と国対政治というネタも幸か不幸かまだまだ使い続けなくてはいけないようである。しかし,分裂野党に戻ったとはいえ,野党の多くが与党を経験し,首相や閣僚を国会に張り付かせることの不毛さを理解したのではないだろうか。憲法改正といった大手術の前に出来ることは多々ある。日程国会を前提とした手練手管を野党は相変わらず駆使しようとするのか。あるいは政権の受け皿として与党を目指すのか。この3年間が野党にも日本政治にとっても正念場である。