『レヴァイアサン』40号 20周年記念号増頁 特集 政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア
ISBN978-4-8332-1156-X C1031 2007年4月15日発行
〔特集の狙い〕政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア (文責 辻中 豊)
1987年秋に創刊した『レヴァイアサン』は本号で創刊20周年40号を迎えた。創刊号の発刊趣旨において,本誌は,「評論的,印象主義的に日本政治を扱う」それまでの日本の政治学が「実践的関心のゆえに」「通説的見解」を繰り返してきたそのあり方を批判しつつ,「政治的含意にとらわれない自由な解釈の呈示」「方法的な自覚にもとづく多様な分析手法」の導入を謳いあげた。また同様に「日本政治を特殊日本的枠組みで解釈しようとする」従来の「鎖国主義的,孤立主義的傾向」からの脱却を訴え,「普遍主義的な比較政治学の可能性を開」き,諸外国の研究者との積極的な「共同研究や研究会議」を持ちつつ,「分析に柔軟な試行錯誤性を導入し,かつ議論を人格的対立抜きに行うことを可能」することを主張した。
この20年の日本政治と政治学をめぐる変化は著しい。バブル景気へと続く経済拡張期に保守政権が一党支配を謳歌した中曽根政権期に出発した本誌も,90年前後の冷戦以後,社会主義以後への混迷の90年代の連合政権期を経て,21世紀に入り構造改革を謳い5年の長期政権を担った小泉政権へ(さらに憲法改正を掲げる安倍政権へ),また9.11と第二次イラク戦争後へという,激変した内外の政治環境に直面している。
こうした政治環境の激変は,政治的決定の意義の重大化を伴うものであり,現代政治分析,日本政治分析の意義を飛躍的に高めるものであった。そうした政治分析の重大化は,政治学の学界環境の変動を導き,既存学会以外に日本公共政策学会,比較政治学会,NPO学会,など新しい学会組織が90年代後半以降に設立され,またJapanese Journal of Political Science(2000~)や『日本政治研究』(2004~)などが続いて発刊されたことにもそれを見て取ることができる。
レヴァイアサンの狙いとした実証的,経験的な日本研究を中心とした現代政治分析は着実な広がりをみせ,日本の政治学界を大きく変容させた。本誌の書評に紹介,検討される経験的な研究モノグラフの蓄積を見ればそのことが了解されるであろう。現代の政治分析において実証的な根拠の希薄な印象主義的研究はほぼ姿を消したといえよう。
率直に現代日本政治を分析する政治学界の状況を眺望してみた場合,そこに問題点がないわけではない。端的にいえば,意味のある政治のリアリティに焦点をあて,それを弛まず経験的に分析する実証的で説得的な論文やモノグラフ自体は,私たちの期待するほどにはそう数多く生産されているわけではないという点ではないだろうか。
いうまでもなくこうしたことの背景には,これまでとあまり変わらない政治学者や政治学界が有している制度遺産があるだろう。いわば経路依存的に,「講座」「コース」「講義科目」によって,政治学が中心でない法学部。大学院のなかで,経験的でも実証的でもない研究者が相変わらず再生産される実態も残存する。90年代以降数多く生まれた国際系や公共政策系の学部や大学院において政治学専門に近い研究環境が生まれたとしても,欧米系の理論モデル志向の強さや理論や技法中心的ないわば頭でっかちの研究志向が続いているという側面も考えられる。
他方でこの10年の期間には,本誌の願った経験的研究の蓄積によって,かなりの本格的で良質なテキストが登場し,それはこうした問題点を克服する一歩であっただろう。しかし,もう一歩進めて若い研究者や大学院生に現代政治分析にチャレンジする,多様な接近法が存在することを積極的にアピールし,議論することこそが必要ではないだろうか。
20周年を記念する本特集においては,それゆえ,意味ある政治的現実を分析する若い研究者にむけて,必要なリアリティ接近(アプローチ)方法を特集した。紙幅に制約があるため,計量的,数理的,制度的,歴史的,社会学的といった方法論論文そのものではなく,各研究者が考えるアプローチの多様な手法を紹介,検討するとともに,その魅力をアピールしてもらうこととした。その際,執筆要領として次の3点を挙げた。
1)自分の主要な業績に即して(その事例や分析例などを引証,引用するなど),記述する。
2)データや資料収集の困難さやその意義,理論と実証の関連付け,操作化の困難さやその意義なども,できるだけ記述する。
3)学術小論文であるが,若い世代への伝達が容易な論理構成,文体に心がけ,計量的,数理的,また制度的,歴史的,社会学的といった方法論論文そのものではなく,各研究者が考える,現実に切り込むアプローチの多様な手法を紹介,検討するとともに,その魅力をアピールする。
以下の諸論文がこれまでのレヴァイアサンの論文とはやや異なったタッチ,個性的なものに仕上がっているとすれば,それはこの要領のせいである。これまで,レヴァイアサンにおいて,常に「方法の意識化」が強調されてきたとはいえ,方法論自体が特集された例は多くはない。本記念号の執筆は,4名の第一世代の本誌編集同人に加えて,多くの今後の政治分析を担う第一線の研究者にお願いし,アプローチそのものの多面的な百家争鳴を企画した。それゆえ,特集タイトルを「政治分析。日本政治研究におけるアプローチのフロンティア」とした次第である。
目次 | |
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<特集 政治分析・日本政治研究におけるアプローチのフロンティア> | |
研究の戦略 ―高根正昭『創造の方法学』を読みながら | 村松 岐夫 |
日本政治と政治学の転換点としての1975年 ―「レヴァイアサンたち」の30年 | 大嶽 秀夫 |
アジアの政治文化の比較 | 猪口 孝 |
政治学とニューロ・サイエンス | 蒲島 郁夫 井手 弘子 |
<歴史> | |
国際秩序論と近代日本研究 | 酒井 哲哉 |
政治史研究と現代政治分析 ―拙著『財界の政治経済史』をめぐって | 松浦 正孝 |
外交史と現代政治分析 | 細谷 雄一 |
<比較> | |
地域研究と現代政治分析の間 | 大西 裕 |
現代アメリカ政治研究は何を目指すべきなのか - 一つの試論 | 待鳥 聡史 |
海外における現代日本政治研究 | 堀内 勇作 |
「比較選挙」研究のすすめ | 西澤 由隆 |
<アクター> | |
議員行動における因果的推論をめぐって | 建林 正彦 |
官僚・自治体の経験的分析 | 稲継 裕昭 |
地方政治・政策分析 | 伊藤 修一郎 |
中央地方関係の理論的分析へのいざない | 北村 亘 |
市民社会の集団・組織分析 | 鹿毛 利枝子 |
<選挙・政治参加> | |
選挙制度の合理的選択論と実証分析 | 鈴木 基史 |
政治参加研究における計量的アプローチとフィールドワーク | 山田 真裕 |
選挙と政党に関するデータの作成について | 品田 裕 |
選挙過程の実態把握を目的とする研究について | 森 裕城 |
<方法論> | |
ゲーム理論に関心のあるあなたに ―使い手になるための三つのステップ | 曽我 謙悟 |
日本における政治学方法論へ向けて | 福元 健太郎 |
政治学が学際研究から得るもの | 谷口 尚子 |
事例分析という方法 | 内山 融 |
日本政治研究におけるアプローチのアプローチ | 谷口 将紀 |
<方法的研究例> | |
法化理論と日本の通商外交 -理論と実際の接点を求めて | 飯田 敬輔 |
議会研究 -権力の集中と分散 | 増山 幹高 |
計量政治学における因果的推論 | 今井 耕介 |
<独立論文> | |
「対米協調」/「対米自主」外交論再考 | 保城 広至 |
<研究ノート> | 不均一な選挙制度における空間競争モデル | 上神 貴佳 清水 大昌 |
<書評> |
「二〇〇一年体制」は「成立・定着」したか? 個性記述と一般化 竹中治堅『首相支配:日本政治の変貌』中公新書,2006年 |
評者=伊藤 光利 |
政治学の景観を一変させる可能性をもつ「相互参照」 伊藤修一郎『自治体発の政策革新』木鐸社,2006年 |
評者=北山 俊哉 |
制度改革と政治的リクルートメント 浅野正彦『市民社会における制度改革 ―選挙制度と候補者リクルート』 |
評者=丹羽 功 |
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」40号
加藤 淳子
ひょんなきっかけから,政治的立場の違いの認識について分析を始めた。対象の相違を距離で表す人間の認知に関しては1970年代から90年代初頭まで心理学の分野で盛んに研究されたが,被験者に明度・彩度・色相を変えた色紙 や形や向きを変えた図形といった対象間の相違をスケーリングさせた実験データの分析が中心であった。
政治学では,イデオロギー距離という概念に見られ るように政治的立場―たとえば政党の政策的立場や相違を距離として表すことは珍しいことではない。視覚に関わる相違に焦点をあてた認知心理学の研究 に対して,こちらは意味を持つ知的な認識による相違である。全く新しい分野で,分野の異なる研究者と共同し荒野を歩いているような状態ではあるが,面白くてやめられなくなってしまった。何とか成果をあげられよう祈るばかりで ある。
川人 貞史
著書・論文の本文を読む前に,参考文献や引用文献を見ることが多い。その研究がどのような射程をもつかを知るうえで役に立つからである。引用文献は,著者の主張を補強するもの,記述の典拠となるもの,あるいは,批判の対象かもしれないし,関連する問題を扱った研究への言及かもしれない。いずれにせよ,著者の行論と何らかの形で関連しており,読者にとって参考になる。もっとも,あまりに多すぎると,逆に読者を煙に巻くことにもなりかねないが。 こんなことを書いたのは,最近,いくつかの本や論文で当然引用されていい文献が引用されていなかったり,引用されていても,典拠として適切に扱われていなかったりしているのを見つけたからである。引用の不備は,たぶん著者の研究の力量を反映しており,そしてまた,著者のマナーも問われかねない。自戒もこめて。
辻中 豊
20周年記念号編集は,編集・書評委員合同会議に助けられ,30名近くの執筆者の9割以上が締め切りに間にあうしかも読みやすくためになる原稿を(しかし分量「遵守度」には正に執筆者の個性が見られるものの,これは皆さん検証可能です)提出するという政治学的には異例の「集合行為」が見られました。これも皆,第一世代からの歴史的遺産であると感謝するとともに,20年の歴史が正に生きていることをよい意味で実感した次第です。
冬休みは,容易に年越せず冬仕事になるのは毎年のことながら,今年は某著名大学の外部審査評価書を書く(これは締め切りを「過ぎて」おりました)という宿題もあり,楽しく充実した毎日でした。因みに審査とは審査されることなり,というのが偽らざる感想で,振り返って我が身の学問を今年は形にせねばと痛感しました。
真渕 勝
この2年半,病気で臥せっていました。そのために,レヴァイアサンの編集だけでなく多くの仕事で,みなさんに多大なご迷惑をおかけしてしまいました。昨年の秋頃からようやく回復に向かい,現在は,体調と相談しながら少しずつ仕事を再開している状況です。
とはいえ,この2年半,原稿執筆に明け暮れていた元気な頃に比べるとぼんやりとしている時間が増え,テレビなど見て時事的な問題について考える機会がずいぶんと増えました。こうした時事的な関心が原稿執筆やレヴァイアサンの編集にダイレクトに影響することはないかと思いますが,まったく影響がないともいいきれません。科学的政治分析と政治評論の関係を真正面から考えることになるかもしれません。私自身,どうなるか,楽しみにしています。