『レヴァイアサン』39号 特集 2005年総選挙をめぐる政治変化
ISBN4-8332-1155-6 C1031 2006年10月15日発行
〔特集の狙い〕2005年総選挙をめぐる政治変化 (文責 加藤 淳子)
実証政治学において,その対象となる出来事や行動を分析する際,それらが分析者と同時代に存在している場合と既に過去のものとなってしまった場合には,異なる問題が生じる。過去の対象を分析する際には,情報や資料を新たに直接得ることができないことが大きな障壁になる一方で,分析者が,その現実を生きていないという意味で,対象と距離を置くことが可能である。他方で,同時代の対象を分析する際には,新たな情報やデータを直接取得することが可能である一方,その時代の考え方や観点,支配的見方等に影響を受けやすくなることは避けられない。そしてこのような困難があるからこそ,人口に膾炙しやすい解釈を再検証することや,特に説明を要しないと暗黙に前提されてきた出来事に新しい意味を見つけることが,分析者としての政治学者の役割となるのである。
2005年の総選挙における自民党の予想外の大勝は,小泉政権下の日本の政治の帰結として,いわゆる「小泉政治」の意味を象徴しているものと考えられている。小泉首相は,従来の自民党の総裁/首相と異なり,党内の支持やリーダーとの連携を拒否し,党内序列を無視した抜擢人事を行い,有権者からの直接支持を勝ち取ることにより,自民党内の不満を抑え政権を維持して来た。この小泉政権或いは小泉政権下の自民党に対する支持は,小泉首相や彼を支える改革支持勢力を「好ましい」と思う有権者の感情や情緒に依存しており,実際の改革の成果や政治に対する理解によらないといった見方がされてきた。2005年の総選挙に至る過程における小泉首相の行動,メディアによる報道や取材の過熱,その結果としての自民党の予想外の大勝はその見方をさらに裏付けた感がある。小泉首相は,郵政改革実現のため党内の反対を押し切って解散。総選挙に踏切り,改革造反派の選挙区で対立候補を擁立し有権者の関心を高め,選挙キャンペーン中に浮揚した支持に助けられた大勝で,党内の反発を支持に転じた。本特集は,このような起伏に富んだ過程と意外な帰結にとらわれることなく,通説的説明に疑義を呈する形で問題を設定し,小泉政権下の日本の政治の新たな位置づけを探る試みである。
巻頭の山田論文は,小泉首相への高い支持が,メディア等を通じての直接的情緒的訴えかけに依存しているという見方を,小泉支持層を実際に形成する有権者像を分析し再検証する。小泉首相の支持獲得の手法や小泉支持層が高い関心を集めたにも拘らず,いわゆるポピュリスト的支持層といってもその定義は曖昧であり,小泉首相独自の手法といっても,それが従来型の自民党のリーダーと異なり既成の党組織や従来の政策決定のあり方を無視しているという最大公約数的合意が存在するのみである。論文は,郵政改革への支持獲得戦略の一環として国会に提出された資料において小泉内閣支持基盤と名指しされた「低情報投票者」をまずポピュリスト的小泉支持層と特定する。そして,政治的情報や知識を直接測定したデータを代替するものとして,認知的困難の結果と見なされる世論調査における回答のデータを分析する。論文は,低い政治的認知や小泉首相への好感を持つ有権者が小泉支持層を形成したのではなく,小泉首相の直接的訴えかけに反応しやすいとみなされた女性の支持が小泉首相への好感からではないという結論を導き出す。しかしながら,「小泉ポピュリズム」の解釈からは意外な結論に目を奪われることなく,この人口に膾炙した見方を分析可能な問題として設定し直し,小泉支持層を実際に分析により特定したことに,論文の貢献はより多く見いだすべきであろう。
2005年総選挙における小泉支持層を直接の分析の対象としポピュリスト的小泉支持層の存在を批判的に検討した山田論文と好対照をなし,品田論文は,2003-4年のデータを援用しそれとの連続性を持って,小泉大勝が,それ以前の,しかも1980年代以来連続的な有権者の自民党支持のあり方をもって説明できるとしたところに新しさがある。これは,政党支持の類型を,有権者の認知的類型にまでしぼりこんで分析をしたために得られた結論である。政党離れが少ない「忠誠派」(しかし政治関与は大きい)と,「消極派」(政治的関与も小さい)に加え,政治関与が小さく政党からも大きく離れている「無党派」の支持を動員したことに,大勝の原因を求めているが,この「無党派」は,その支持を小泉首相が巧みに引き出したとは言え,決して新しい存在ではない。さらに,小泉評価を構成する要因を特定した因子分析(表7)は,小泉政治の「わかりやすさ」を具体的な理由をもって記述する点で興味深い。ここから浮かび上がる,「無党派」像は,政策に関する知識が乏しい(イデオロギーや党派の影響はこの類型でも大きい)という側面より,政治的決断や刷新という側面に敏感に反応するという側面により特徴づけられている。
小泉政権下の選挙のもう一つの特徴は,野党第一党である民主党が自民党に挑戦し続けたことにある。一方で,民主党が最大野党としての地位を確立しつつも,自民党中心の政権が常態化するにつれ,政党システムに関する論議は下火となった。1996年の総選挙後には,自民党と新進党の二大政党制の成立に関し多大な関心が寄せられたにもかかわらず,である。これは,民主党が,短命であった新進党と異なり,分裂することなく議席を伸ばしたにもかかわらず政権への展望が見えてこないことと無縁でないが,森論文は,2005年総選挙の分析を政党システムに関する議論にまで発展させている。ここで扱われるデータは,選挙制度及び選挙区ごとの投票率や絶対及び相対得票率といった基本的な統計であり,論文はその集計と比較によって分析を行っている。データの分析や数量的手法では,ともすれば複雑でテクニカルな手法がそれだけで珍重されがちであるが,実は最も信頼性が高くそれゆえに説得的な結論が導き出しやすいのは,このような確立された単純な手法である。森論文は,自民党が投票率の増大の恩恵を独占した結果,議席を増大したこと,大敗したはずの民主党が得票という点では大勝した2003年の総選挙と同水準であったことを示す一方で,選挙区別データは,自民党が従来支持基盤として依存して来た農村部での得票が停滞していることを示し,総選挙の結果を裏切る形での将来の自民党支持の不安材料を提示している。小泉政権下の自民党支持の増大が長期的な支持の安定に結びつかないといった指摘は多々なされてきたが,森論文はそれを実際の有権者支持の分布の変化で実証したことになる。論文から汲み取れる政党システムについてのもう一つの興味深い含意は,民主党の他の野党との連携の可能性から政権獲得への条件を考えたところにある。政策的立場や左右イデオロギーにおいては,五政党のちょうど真ん中にあたる民主党の位置は,他の野党と比較した場合の独自性の確保という点では不利であるが,将来の政権獲得の際の連合の交渉を考えた場合には有利なものとなる。選挙における勢力の帰趨とともに政党間交渉が政党システムに影響を及ぼすことを,具体的に競争の条件を場合分けし明確に示しているのである。
小泉政権のもう一つの特徴は,その改革志向であった。首相の姿勢として明確に現れたこの志向性をめぐって,それが従来のやり方を否定するという意味で斬新であるか,また実際に改革が行われ変化が起こっているのか,そしてそれが効果的に経済パフォーマンスの改善に結びついているのかが,小泉首相のリーダーシップと関係づけられ,関心の対象となった。しかしながら,一方で,改革の「結果」や「成果」が,リーダーシップのみならず,それが実行される時点での経済状況や,既存の社会利益の組織化や連合に左右されることは言を俟たない。実際,日本政治研究においては,政権,特に政権の長の政策的立場は稀にしか政策の変化の原因となり得ないと暗黙に前提され,政策決定や変化を社会経済的利益の組織化のパターンや連合とその時々の政治経済的条件を関係づけ説明する分析が有力であった。樋渡論文は,この観点にたった既存の分析の成果を活用し,小泉政権下の政策変化の何が新しいのか,すなわち何が小泉首相によってもたらされたかを,この従来の分析枠組と整合的に解明する。その結果浮き彫りになったのは,1990年代以来の赤字財政下の拡張的財政政策を転換した2001年の小泉政権下における不況対策の意味である。樋渡論文は,自民党の議席増大がかえって公共事業支出の減少を導くという傾向を,小泉政権下における自民党支持の安定とそれに貢献した小泉首相の党内の年功序列秩序の崩壊によって説明する。そして,小泉政権下における改革志向の本質は,その突出した首相の言動と裏腹に,現存の政治経済的条件の制約の下で取りうる手段を最大に活用する現実主義にあったとする結論を導き出すのである。小泉首相が,党内基盤に依存しないゆえに,党内勢力の財政出動要求を抑えこみ,政策転換に至ったという主張は,前三論文の小泉政権下の小泉支持の分析とそれの政党間競争における含意とあわせ,興味深い。
目次 | |
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<特集論文> | |
2005年衆院選における自民党投票と政治的情報量 | 山田 真裕 |
2005年総選挙を説明する -政党支持類型からみた小泉選挙戦略 | 品田 裕 |
2005年総選挙と政党システム | 森 裕城 |
小泉改革の条件 -政策連合の弛緩と政策過程の変容 | 樋渡 展洋 |
<独立論文> | |
政権党・官僚制・審議会 -ゲーム理論と計量分析を用いて | 曽我 謙悟 |
投票政党選択と投票 -棄権選択を説明する -計量と数理の接点 | 山本 耕資 |
<書評> | |
金融政策と金融行政 上川龍之進著『経済政策の政治学』東洋経済新報社,2005年 |
評者=鹿毛 利枝子 |
「経済決定論」を超えて 東京大学社会科学研究所編『「失われた10年」を超えて[Ⅱ]―小泉改革への時代』東大出版会,2005年 |
評者=上川 龍之進 |
福祉国家の持続可能性の起源 Junko Kato, Regressive Taxation and the Welfare State: Path Dependence and Policy Diffusion, Cambridge University Press,2003. |
評者=藤村 直史 |
予算編成から見る昭和戦前期の日本政治 大前信也著『昭和戦前期の予算編成と政治』木鐸社,2006年 |
評者=村井 良太 |
イギリスを変えたのはサッチャーか、それともブレアか 小川晃一著『サッチャー主義』木鐸社,2005年 山口二郎著『ブレア時代のイギリス』岩波新書,2005年 |
評者=力久 昌幸 |
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」59号
加藤 淳子
イェール大学博士課程在学中にある教授から奨学金の件で呼び出され明らかに 不当なことを言われたことがある。学生の弱い立場では反論できまいと言わん ばかりの態度に腹を据えかね筋道たてて反論したところ,彼は「You are bold. It's a compliment. (君は大胆だね。これは褒め言葉だ。)」と言っ て即座に私の言い分を認めた。私のような小柄な日本女性が思いきったことを 言うと,その意外性に興味を引かれてか皆言い返された不快感を忘れてしまう ようで,留学中はこのような場合全て相手は私の反論を認めてくれた記憶があ る。理由は何であれ,立場の違いや強弱を超えお互いに率直な意見を言えるこ とはその社会の風通しをよくすると思う。ひるがえって今の日本を思うと心も とない感じがしてならない。
川人 貞史
今年の秋からミシガン大学の客員教授として8ヵ月間,アナーバーに滞在することになった。長期間の海外生活は久しぶりである。これまでの2度の長期在外研究では,私の研究に関心をもってくれる人や共同研究者に恵まれて,英文の論文をレベルの高い研究誌(APSR, AJPS)に掲載することができた。アメリカでは共同研究,共著論文の執筆が活発に行われており,単著論文であっても,研究者コミュニティの中で十分な議論や批判を経ているので,事実上の共同研究といってよいかもしれない。今回は,どんな研究者たちと出会い,どんな知的刺激を得ることができるか,どんな相互作用が生まれるか,生まれないか,楽しみである。そして,もちろん,学生たちと会うことも楽しみである。
久米 郁男
話題のレヴィットとダブナーの『ヤバい経済学』を遅ればせながら読んだ。 評判通りの刺激的な本である。さらに,そこでは,J.Q.ウィルソンの犯罪研究 が,実証的データに裏付けのないいい加減な研究であることが指弾されてい る。基本的な武器は,重回帰分析。因果効果を厳密に検証することで,「専門 家」のいい加減な主張が暴かれていて,小気味が良い。しかし,政治学は因果 効果のみならず,因果関係のプロセスに関心を持つ。両者の関係をどうするべ きか,いろいろ考えさせられる。
辻中 豊
IPSA福岡大会06年について別に詳細な報告がなされるだろうが,ここでは私的雑感。日本初開催だがラ米,韓国など非西欧圏や欧州圏の海外参加者が多く,対する日本人研究者はお馴染みの面々以外は 意外と少ないように感じた。プログラムの参加者索引には実際の参加者の7割未満しか載っていなかったが,日本人は1割未満であった。参加したいくつかのパネルでも,ホテルとの往復バスでも,日本からの新顔は若い研究者に限られ(貴重な将来の芽だが),海外からは老若男女,学生まで多様に 活気づいていた。9年前の韓国IPSAではパネルのほとんどで韓国研究者が溢れていたのと対照的。IPSA史上最大の参加者で大盛会なのに,日本人研究者が国際的に発信するという点からは,言葉ではなく,内容と意欲の点でまだまだ鎖国的だと感じた。