『レヴァイアサン』37号 特集 90年代経済危機と政治
ISBN4-8332-1153-X C1031 2005年10月15日発行
〔特集の狙い〕90年代経済危機と政治 (文責 久米 郁男)
第2次大戦後,経済成長と政治的安定を両立させてきた戦後政治経済体制は,1970年代から先進諸国で徐々に機能不全の兆しを見せてきた。1980年代,多くの先進民主主義国において進められた新自由主義的改革は,このような機能不全に対する政治的対応であり,各国の政治経済体制の変容をもたらした。この改革の背後には,慢性的な赤字財政が公共セクターのさらなる拡大を困難にしたことおよび,国を基本単位とする政治体制とグローバル化する経済との緊張が高まってきたという事情があった。日本は,80年代中曽根内閣時代に同様の新自由主義的改革を志向したものの,バブル崩壊まではむしろ自由市場経済とは異なる資本主義体制であると理解されることが多かった。しかし,そのような日本もバブル崩壊後の経済苦境の中で,本格的な新自由主義的改革を進めざるを得なくなったのである。
しかし,日本を含めた先進国における新自由主義的改革は,自由主義的市場経済への収斂へとつながったのであろうか。80年代から90年代にかけて同じような経済的困難や危機に直面した先進国はそれぞれに異なる政治的。政策的対応を見せてきた。このような対応の差異に注目して,比較政治経済学の分野では「資本主義の多様性」論が有力に主張されることとなった。そこでは,先進資本主義諸国に,自由市場型経済体制と調整型市場経済体制が併存し続けていることが強調された。
本特集は,日本政治学会とヨーロッパ政治学会の共同事業としてスタートし,その後独立行政法人経済産業研究所のプロジェクトとして進められた,日米欧の政治学者による共同研究の成果によって構成される。そこでの課題は,調整型市場経済の代表例と分類される日本,ドイツ,スウェーデンの3カ国における「経済危機」への対応に,いかなる類似点と相違点があるのかを解明することによって「資本主義の多様性」論をさらに発展させることである。
目次 | |
---|---|
<特集論文> | |
金融システム危機管理の比較政治学 -日本とスウェーデンにおける制度と責任回避戦略 | 上川 龍之進 真渕 勝 T・スヴェンソン |
政府の党派性と経済運営 -日本とスウェーデンの比較 | 加藤 淳子 ボー・ロススタイン |
政治的課題としてのコーディネーション -調整型市場経済における労使関係の変化 | 久米 郁男 K・セーレン |
小選挙区,比例代表,政治危機 -ヨーロッパの観点から見た日本 | E・イマグート S・ヨッフム |
<研究ノート> | |
我が国の地方政府体系における統合・分化に関する実証研究 | 野田 遊 |
地方公社の統廃合と知事の交代 | 松並 潤 |
<書評> | |
グローバル化のインパクトに関する国際比較意識研究 猪口 孝著『「国民」意識とグローバリズム』NTT出版,2004年 |
評者=河田 潤一 |
政党内閣制成立期の首相選定過程 村井良太著『政党内閣制の成立 1918-27』有斐閣,2005年 |
評者=川田 稔 |
中選挙区制における自民党議員の差別化戦略 建林正彦著『議員行動の政治経済学』有斐閣,2005年 |
評者=斉藤 淳 |
二つの中国 -現実・政策・「受容」 池田直隆著『日米関係と「二つの中国」』木鐸社,2004年 |
評者=佐藤 晋 |
自民党政治のジレンマ 蒲島郁夫著『戦後政治の軌跡:自民党システムの形成と変容』岩波書店,2004年 |
評者=西川 美砂 |
日本の防衛政策研究の新しい出発点 佐道明広著『戦後日本の防衛と政治』吉川弘文館,2003年 |
評者=道下 徳成 |
対人地雷の禁止をめぐる説得と社会的圧力 足立研幾著『オタワプロセス:対人地雷禁止レジームの形成』有信堂,2004年 |
評者=宮岡 勲 |
国際政治理論の知的源泉を探る 信夫隆司著『国際政治理論の系譜』信山社,2004年 |
評者=宮下 明聡 |
◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」59号
加藤 淳子
最近,政治家の離党や入党など政党間の移動行動(party switching)の比較を海外研 究者と行っている。政治家個人の動機づけに加え制度や環境の影響を分析する研究 で,これらミクロ及びマクロレベルの分析の関係について興味深い発見があった。各国事例は,政党間移動が頻繁になりそれに対する批判が弱まるとますます移動が活発 になり,そのような行動がまれであり批判が強いという場合に大きく分けられるが,この二分化した状態がどの時点でなぜ入れ代わるのかに関しては説明が難しい。日本 でも少なくとも政治家の間では1993年以降政党間の移動に関する見方が大きく変わった。方法論的個人主義と(広義の)制度や構造を重視するアプローチは政治学において対立してきたが,この対立図式自体が分析に限界をもうけているような気がする。
川人 貞史
研究を行う際には,分析データの作成。整理とともに,さまざまな資料や文献の入手が欠かせない。大学の図書館に所蔵されているものを利用できれば一番だが,なければ,購入するか取り寄せることになる。書籍や雑誌論文などは図書館の相互利用サービスによる文献複写,現物借用が便利である。電子ジャーナル化がかなり進んだ外国雑誌の論文は,ダウンロードする。また,私が専ら行っている国会研究では,戦後すべての本会議,委員会を瞬時に検索できる国会会議録検索システムが便利である。そして,国会図書館所蔵のさまざまな第一次資料は,文書目録をもとに複写サービスによって入手する。しかし,研究を進めるための仮説とその実証方法の考案が最も重要であることは,いうまでもない。資料をただ読みあさっても何も出てこないからである。
久米 郁男
政治学の海外ジャーナルからレフェリーを頼まれる機会があると,できるだけ引き受けるようにしている。このシステムは,研究者のコミュニティーがボランタリーに支えるべき「公共財」のようなものだと思うからである。しかし,どのレベルの論文を掲載可と判断するかは,なかなか難しい。依頼には,通常,本ジャーナルにふさわしいかという基準で判断してほしいとある。ジャーナルのランキングオーダーをも意識しながらの判断となるからである。日本でも,レフェリー制ジャーナルが増えつつある。どのようなランキングが生まれてくるのか,老舗(?)の本誌はどう評価されるのか,興味深い。臨時雇いの編集委員故の無責任な感想と叱られそうだが。。。。
辻中 豊
前号で書いた「世界最小の公的セクターで最大の財政赤字」問題は現実政治の方で持ち越して,本号が出る頃には郵政絡みで政界混乱(?)。問題は一般会計からその倍以上の特別会計へと拡大すべきだが,政界的にも政治学的にもすっきりとした分析に出会わない。他方,国立大学も法人化し,特定教員に対する一%から一割削減まで,ここでも一律に減らし,一部戦略的配分との潮流だが,やはり少し腑に落ちない。公的セクターの意義を曖昧にしたまま効率万能でいいのか。大学もやはり日本は「世界最小の大学セクター」。スタッフ少なく財政支出も世界最小規模で期待値も最低である。公的なものへの根本的な意義が議論されないまま,削減の嵐にどう抗するか。楽しく比較市民社会研究を遂行しつつ,矛盾に腹立たしい毎日でもある。