木鐸社

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『レヴァイアサン』35号 特集 比較政治学と事例研究

2004年10月15日発行

〔特集の狙い〕比較政治学と事例研究 (文責 加藤 淳子)

 本号の特集のテーマは「比較政治学と事例研究」である。ここでは,各論文を紹介する代わりに,特集のテーマに沿って比較政治研究をする際の事例と理論の関係について考えたい。
 今回の特集のテーマを設定するに至った理由は,比較政治学分野において,地道な事例研究より方法論や理論に関する議論の方が重視される傾向が見られることに危惧を抱いたからである。この傾向は実はよりよい比較政治研究を目ざした結果生じた皮肉な帰結である。たとえば,近年,研究者にとって最初の業績となるはずの博士論文においても,複数のケースを扱い,リサーチデザイン,仮説の設定,概念の提示等,明確な理論枠組に基づいて事例を展開することが求められるようになってきた。複数のケースの比較の方が,分析の対象となる要因や現象を同一に保ったり変化させたりと推論する可能性が広がり,ある特定の視座に基づいて比較する以上,それを明確化するという意味で,方法論重視,理論志向が強まるのは本来なら好ましいことである。
 しかしながら,ここに大きな落とし穴がある。比較における事例研究というのは,職人仕事のような側面があり,いかに比較のやり方,それにまつわる理論や概念を理解したところで,実際に事例を比較する際にそれを適切に使えるとは限らないからである。たとえば,日本の伝統的な織物の工程には麻など植物原料を細く割き長くつないでよりあわせる――績む――という作業があるが,糸をなるべく切らないで細く長くつないでいくには,その日の湿度や温度等環境条件によって糸を績む強さややり方を変えていかなければならない。これは長年の作業に従事した経験による職人の勘によって可能になる。勘と言ってもここに「理論」がないわけではない。たとえば環境条件を細かく分類し,それぞれに対応する糸をひく力を計測することは可能である。そしてその「理論」は職人の勘に基づいた技術と一貫しているであろう。ただ,ここでは,詳述した膨大な理論的記述より職人が身につけた技術や勘に依存する方が作業を行う際に現実的なだけである。また,これは私達が,糸を績むための「理論」を理解することで長年の経験を積んだ職人のように糸を績めるようになろうとするのが非現実的であるのと裏腹である。
 比較政治研究もこの点は同じような性格を持っている。方法論を学び,いかに理論を理解したところで,実際の事例に直面してそれを使うことはやはり別のことである。比較政治研究を始めたばかりの研究者は事例を調べることによって初めてこの方法論や理論を使うやり方を学ぶことになる。しかしながら初期の業績の段階から複数のケースを比較することを要求されるようになると,事例を調べそれに基づいて方法論や理論を使ってみるという作業を地道に行うことがかえって難しくなる。たとえば一国のケースになら自分で実際に現地に赴きインタビューを行ったり一次資料を集めたりという形でふんだんに注ぎ込める時間とリソース(研究にかかる費用や労力)でも複数国のケースでは十分でなく,それを有効に使うには個々のケースを効率的に処理することが要求される。結果として,数量分析を行ったり,二次資料にある程度まで依存せざるを得なくなることが多くなる。数量分析自体は有用な方法であり,主要なケースを補う形で他者のリサーチに依存した二次的なケースを使うことも比較政治学では広く行われてきた。しかし,これらがいくら有用であると言っても地道な事例研究で得られる知識を代替することはできないのである。比較政治学の方法論と事例研究は不可分であり,ケースをきちんと調べるというのは全ての比較の基本でありそれを行わない限り方法論は身につかず,理論のための理論しか生み出せなくなる。政治学においては,現実を知ることに役立たない理論は意味はない。
 方法論と事例研究及び事例比較研究の緊張関係を理解するには,既に政治学の分野で方法論のテキストとしての地位を確立したキング,コヘイン,ヴァーバの教科書の例を引くことができる(Gary King, Robert O.Keohane, and Sidney Verba. 1994. Designing Social Inquiry. Princeton: Princeton University Press. 邦訳 真渕勝監訳『社会科学のリサーチ。デザイン』,勁草書房,2004年)。この教科書に網羅され整理されている方法論,仮説の立て方,ケースの選び方,仮説の検証の仕方等のポイントは,全てそれ以前の比較政治学の方法で議論されてきたもの,より正確には議論されてきたことから演繹的に引き出せるものであり,全く新しいというものはない。これは,この本がよい教科書だからである。今まで使われ有効性が確認されている方法をわかりやすい言葉で(これをキング,コヘイン,ヴァーバは量的分析の方法を質的分析に応用することで行っている)網羅的に,初学者のために整理して詳述したのである。言い換えれば,今まで研究者が研究を行う際に問題に直面し自分で身につけなければならなかった方法論が既に要領よくまとめられ明確な言葉を選び記述してあるのである。
 一方で,このキング,コヘイン,ヴァーバの方法論に対しては,第一級の業績をあげた多くの比較政治研究者から実際の実証研究を行う際に適切な方法でないと言う観点から批判やコメントが浴びせられた(たとえば,“The Qualitative-Quantitative Disputation: Gary King, Robert O.Keohane, and Sidney Verba's Designing Social Inquiry,” American Political Science Review, vol.89, no.2, June 1995)。このやり取りから,私達は方法論と事例を用いた比較研究の緊張関係をよりよく理解することができる。両者の見解の相違点,賛否の別れた点を確認していくと,多くの場合,批判者が彼等の方法を(記述された通りに)比較に用いた場合に生じ得る問題をもってコメントをしているのに対し,キング,コヘイン,ヴァーバはその問題もまた彼等の方法論によって解決し得ると指摘された論点以外の(彼等の教科書に網羅してある)論点を使って答えている。この点において,キング,コヘイン,ヴァーバと批判者の議論は見事に平行線をなしている。
 では,どちらが正しいのか? 実は両者とも正しい。彼等の議論は平行線をたどることによって,まさに方法論が事例の解釈や比較に応用された際の緊張関係を表わしているのである。確かに,キング,コヘイン,ヴァーバが記述したように方法論は一般的な形で詳述できるであろう。しかし一方で,批判者達が多くの論点をあげたように,研究者がもし一般的記述のみに依存し方法論を理解した場合には,結果として不適切な方法を用いる場合が十分考えうるのである。それを防止するためには,キング,コヘイン,ヴァーバが批判者へ返答したように一般的記述から演繹したりその論点を結合したりする作業が必要になるが,こうした起こりうる疑問点や問題を全て詳述した教科書を書くのは不可能である。また批判者達が,キング,コヘイン,ヴァーバの一般的記述に問題を見い出すのは,彼等が教科書に書いてあった知識でも自分が実証研究に使うことができた時つまり体得できた時には全く別のものになっていることを知っているからである。
 親切な方法論の教科書がある時代に研究を始めた研究者にとっては,それ以前の研究者が自力で到達した知識を教科書によって効率的に学べるのは有利な条件である。一方で,これは陥穽ともなりうる。教科書に書いてある一般的記述としての方法論と研究者が自力で到達した経験的な方法がたとえ論理的に一貫していたとしても,比較研究の現場で威力を発するのは後者のみだからである。教科書を読み理解することと実際の事例を前にその有用性を納得することは全く別なのである。近年の理論重視の傾向は方法論に関する議論が整理されそこから効率的に知識を得ることにより拍車がかかっているため,現実の分析に役立つという意味での真の理論重視から乖離する可能性がある。
 本号の特集では,事例研究を重視するという姿勢が明確な論文を掲載した。興味深い現象の理解のためには既存のもの以外の概念や理論に取り組むことが必要である。そのための概念構成を試みる論文もやはりよりよい事例研究を行ない比較を進めるのに不可欠である(小川論文)。既存の理論枠組を応用して事例を以前と異なる観点からとらえることは,またそこからフィードバックし理論に新たな有効性,含意を発見することにもつながる(北村論文)。最後に繰り返しになるが,比較政治研究の基本は,事例研究であり事例を丁寧に調べていくことが比較の方法を実直に応用できる第一歩なのである(高松論文)。


目次
<特集論文>
ヨーロッパ政治と「憲法化」-法システムと政治システムの間 小川 有美
都道府県の法定外税導入の分析 北村 亘
社会資本整備の政治過程における決定のルールとアリーナ -整備新幹線と空港整備をケースとして 高松 淳也
<独立論文>
政治的対立軸の認知構造と政党 -有権者関係 平野 浩
沖縄県民投票に関する計量分析 -迷惑施設をめぐる有権者の投票行動 塩沢 健一
国会中心主義と議院内閣制 川人 貞史
<誌上論争>
〔解題〕議会研究と国会研究の間で 待鳥 聡史
〔書評〕増山幹高著『議会制度と日本政治 議事運営の計量政治学』(木鐸社,2003年)をめぐって 福元 健太郎
〔応答〕立法における時間と影響力 増山 幹高
<書評>
破綻国家への対応を模索する国際社会
 納家政嗣著『国際紛争と予防外交』(有斐閣,2003年)
評者=赤根谷 達雄
官房型官僚の視点から見た一九五〇年代日本政治
 牧原出著『内閣政治と「大蔵省支配」-政治主導の条件』(中公叢書,2003年)
評者=大山 耕輔
各国の選挙制度の詳細な記述と統計的分析
 西平重喜著『各国の選挙 -変遷と実状』(木鐸社,2003年)
評者=加藤 秀治郎
集計データ分析による政党間競争研究の確立
 川人貞史著『選挙制度と政党システム』(木鐸社,2004年)
評者=品田 裕
改革を目指す比較議会研究
 大山礼子著『比較議会政治論 -ウェストミンスターモデルと欧州大陸型モデル』(岩波 書店,2003年)
評者=高橋 直樹
歴史のアイロニーを抉る
 唐渡晃弘著『国民主権と民族自決 -第一次大戦中の言説の変化とフランス』(木鐸社,2003年)
評者=坪井 善明
分析的叙述と残る問題点
 待鳥聡史著『財政再建と民主主義』(有斐閣,2003年)
評者=中林 美恵子
通商摩擦研究の最新動向 -構成主義アプローチと2レベルゲーム・モデル
 大矢根聡著『日米韓半導体摩擦~通商交渉の政治経済学』(有信堂,2002年
 中戸祐夫著『日米通商摩擦の政治経済学』(ミネルヴァ書房,2003年))
評者=野林 健
政党システムの変化とその要因
 的場敏博著『現代政党システムの変容:90年代における危機の深化』(有斐閣,2003年)
評者=吉野 孝

◆毎号真っ先に読まれる「編集後記」35号

加藤 淳子

 今回担当した特集である比較研究においては語学の能力の有無が問われることが多い。私はこの点に関し近年興味深い経験をした。フランスのCSGと言う租税は一般社会税とも直訳される。先行研究の著者が仏語でインタビューを行っていたことを知りそこまでの能力がない私が研究する意味があるか疑問に思っていたある日のことである。その先行研究をよく見るとCSGのCが税でなく保険料に対応するとされている。仏語では税も保険料も同じCで始まることから来る間違いである。しかしそれを仏大蔵省の官僚に告げると「誤訳するのではCSGを理解していないことになる」と返事が帰って来た。実際CSGは社会保険料財源を代替するという役割がありこれは単純なミスではすまされない。言葉が操れるということが重要であることは論を俟たない。ただもし自分に本当に興味のあるテーマであれば語学の能力が完全でなくても取り組んでみるのもいいかもしれない。

川人 貞史

 参院選の直後にこの編集後記を書いている。今回の選挙結果は,自民党が現有議席の51議席に届かない49議席だったが,公明党とあわせて参議院の安定多数を確保した結果,小泉政権は続投することになった。年金問題やイラク多国籍軍参加問題に対する有権者の怒りも98年参院選ほどの惨敗をもたらさなかった。年金問題の不手際は,衆議院通過後になってから,実は厚生年金の給付水準が当初の説明と異なり受給開始後に50%を下回ることが判明したことや,法成立後に出生率が1.29と発覚したことなど,プリンシパルである内閣。大臣に対してエイジェントとしての行政官僚制の側が引き起こしたモラル・ハザードといえる。官邸主導,内閣主導が見事に空洞化している様を如実に示す例であり,これが小泉改革のリーダーシップだったのである。

辻中 豊

 比較政治学会「比較の中の日本政治」パネルで大嶽秀夫,ペンペル,加藤淳子報告に山口定,久米郁男両名の白熱した討論を聞き,政治分析は何を目指すかが,今も論争的であることを痛感する。大嶽氏の言うようにレヴァイアサン創刊前と現在の研究状況が同じとは思わないが,なお現代分析に欠けた重要な側面があることも事実である。マクロで動態的,文脈的に意味のある分析に対して,技術的にスマートだが,遠い,狭い,静態的な研究になっていないか。自分自身近年は市民社会比較による政治 構造認識に力点をおいてきたが,学生に政治を解説する必要から,紛争の伝染や紛争の転位を論じたシャットシュナイダーを再読した。合理的選択でなく多面的な紛争間競合に動態的な理論化の端緒を見出せるのではないかと思案し始めている。

真渕 勝

 法科大学院が発足した。それに対抗するようにいくつかの大学が公共政策系大学院を立ち上げ,あるいは準備を行っている。法科大学院とは異なり,公共政策系大学院に,確立したイメージはまだない。公務員試験とリンクされていないことが,大きな 理由である。気がかりは,将来の公務員,とくにキャリア官僚がどのようなルートを通じて採用されるのかということである。法科大学院を経て法曹資格をもつものが官僚になり,嫌になれば法曹界に行けばいいのだとう意見も耳にする。社会的な流動性が高まるの は好ましいというのが,理由である。明らかに,彼らは「職場の移動」と「職業の移動」を混同している。とはいえ,責任の一部は公共政策系大学院の側にもある。いっそう明確なイメージを確立することが求められている。

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