『統一ドイツの外国人問題』
A5判・500頁・7000円 発行:2002年2月 ISBN4-8332-2317-1 C3036
著者紹介
近藤 潤三
愛知教育大学
内容紹介
■外来民問題の文脈で 戦後西ドイツは敗戦で喪失した領土からの外来民の流入。外国人労働者の導入。難民受入等多くの課題を抱えた。その特有の社会構造と政策転換の変動に百五十年に及ぶ統一ドイツ国家形成の真の姿を見る。
目次 | |
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はしがき 1章 ドイツにおける外国人・外来民問題の歴史的展開 2章 ドイツ統一前後の外国人の生活実態:職業と所得を中心に 3章 世紀転換点のドイツにおける外国人の生活実態:2章への補論 4章 ベルリンのトルコ人青少年の生活状況と意識 5章 統一ドイツにおける庇護申請者・難民問題の動向と実態 6章 ドイツにおけるアオスジードラー問題の系譜と現状 7章 戦後ドイツ史の中のユーバージードラー |
はしがき
40年以上に及んだ分裂に終止符が打たれ、ドイツがようやく統一したのは、今から10年少し前のことである。本書はその統一ドイツが抱える主要問題のひとつである外国人問題を歴史的背景に重点を置きつつ検討したものである。
外国人という概念は、ある国に居住しているか、あるいは旅行などで短期滞在しているが、その国の国籍をもたない人の総称である。したがってそれは何よりも法的な側面に着目した概念であり、外国人問題とはそうした外国人が国内に受け入れられ、居住することに伴って派生する諸問題を一括したものと考えてよい。
しかしながら、ドイツの現実に即してみた場合、単数形で表される外国人問題という言葉の内実は極めて複雑で変化に富んでいることに気づく。この言葉で思い浮かべられるのはかつては外国人労働者であったが、彼らが家族と暮らすようになってからは女性や子供が増えたために労働者という限定は外れたし、庇護申請者が大量にドイツに流入するようになると、難民というイメージが付け加わったからである。
それだけではない。外国人労働者が家族とともに定住するようになった段階で、彼らには生活の本拠をドイツに移したという意味で移民という語も使われるようになり、異なる文化的背景を有する外国人との共生を目指すべきとする立場から多文化社会の構想が唱えられるようにもなった。そこではドイツは移民社会として描かれ、彼らを外国人にとどめて内国人から法的・制度的に差別し排除するそれまで自明視されていた法的・社会的諸制度が批判を浴びるようになったのである。しかし、周知のように、ドイツは彼らをドイツに永住する将来の国民としてではなく、一時的な出稼ぎ労働者として受け入れを開始し、ドイツ社会への彼らの編入についても何の用意もなされていなかった。そのため、彼らが移民化するのに伴い、後追い的に種々の政策が打ち出されるようになったが、彼らを移民ではなく外国人として扱う方針は堅持されてきている。多数の外国人が定住して働いているドイツはいわば統計上は移民国になっているが、法的・政治的には依然として移民国ではないのであり、移民国に生じる問題に加え、このギャップが外国人問題を複雑化しているのである。
しかし問題はこれにとどまらない。ドイツにおける外国人問題を考える場合、法的な意味での外国人にのみ視線を向けていたのでは、問題自体の重さも量れないし、その構造も十分には見えてこないと思われるからである。
トルコ人やイタリア人の子供や青少年のように、今日のドイツに定住している外国人のなかにはドイツ生まれの2世、3世が多数含まれているが、1世に当たる人々は外国人労働者としてドイツの域外から来て住み着いた人々が多い。その面では数十年以前にドイツではかなりの規模の人口の国外からの流入があったことが明白だが、しかし外部から流入したのは外国人労働者だけではなかった。そして外国人労働者が成長するドイツ経済が必要とする労働力として受け入れられたのと同様に、そのほかの集団もドイツ経済の発展を支え、とりわけ戦後の苦難の時期から奇跡の高度成長の頃まで労働力を供給したのである。
この観点から戦後ドイツの歴史を振り返ると、敗戦後、アメリカ、イギリス、フランスに占領された西側の3占領地区とソ連占領地区との亀裂を引き金とする1949年の「二重の建国」により連邦共和国として出発した西ドイツには、1945年の敗戦以降、膨大な量の人口が流入した。従来のドイツの東部領土から流れ込んだ避難民・追放者、ソ連・東欧圏からのアオスジードラー、東ドイツを離脱してきたユーバージードラーなどがそれである。その総数は統一の年1990年までで1500万人以上にも達している。これは同年の西ドイツの人口の4分の1に相当する。これに加え、1990年の西ドイツには480万人の外国人が居住していたから、単純化して言えば、その時点での西ドイツの人口の3分の1が国外からの移住に関係していたといえよう。第二次世界大戦後の時期に限ると、イスラエルを除き、先進国に数えられる国でこれほど移住によって人口が構成されている国は存在しない。その点で、西ドイツは、そして統一後のドイツも、アメリカやカナダのような古典的移民国をも凌駕する移住者の国になっているのである。
戦後ドイツにかかわるこの基本的事実を念頭に置き、さらに外国人労働者の導入がユーバージードラーの激減とともに本格化したことなどを考慮するなら、その他の集団を度外視して外国人問題のみに焦点を当てるのは視野狭窄に陥る危険があると言わねばならないであろう。また同時に、ユーバージードラーやアオスジードラーなど外国人以外の集団が西ドイツないし統一ドイツに流入するのは、ドイツ現代史に直結する背景があるからにほかならないことも留意されるべきであろう。そのことを理解するには、東ドイツからの脱出が文字通り東西冷戦の文脈の中で生起した事象であることを想起すれば足りる。公式に把握されているだけでも2000年の時点で740万人にも達し、そのほかに統計に算入されない外国人季節労働者や実数の不明な不法移民などを加えればこれを上回る外国人の存在は、確かに規模の面からだけでも大きな問題となる。
なぜなら、多年にわたってドイツに定住している人々がそのなかに多数含まれているのに、彼らが依然として外国人という法的地位にあることをその数字はまずもって示しているからである。この点を考慮すれば、事実上移民として生活している外国人が本書の中心に据えられるのは当然である。しかし外国人問題の全体像を把握するためには、他の集団をも射程に入れ、それらの歴史的背景にも検討を加えることが必要とされよう。この観点から、外国人はもとより、戦後西ドイツもしくは統一ドイツに国外から流入してきたすべての人々を総称する言葉として本書では外来民という語を用いることにしたい。つまり、外国人問題を中心に据えつつ、これを外来民問題という枠組みの中で考察することが本書の課題なのである。
こうして標題にある外国人問題よりは広く外来民に光を当てることを本書は狙いとするが、そうしたアプローチは移民法制定が現実味を増している近年のドイツの実情を考える際には欠かせないものといえよう。少子・高齢化による人口変動が早晩、生産年齢人口の縮小を招き、年金制度をはじめとする高福祉の社会保障システムの見直しが不可避になっている現在、従来とは異なり、包括的視点に立つ外来民の受け入れは与野党を問わないコンセンサスになってきているからである。換言すれば、様々のカテゴリーからなる外来民を統一的な構想の下に把握し、いかなるタイプの人々をどれだけ、またどのようにして受け入れ、受け入れた後はどのように処遇するかが昨今の主要テーマになっているのである。
こうした近年の動向を適切に把握するためには、しかし、外来民を構成する種々のカテゴリーの集団を検討しておくことが不可欠であろう。またその際、それぞれの集団がなぜ、どのようにして、どれほど受け入れられてきたのかを理解するには歴史的角度からの検討が必要とされよう。一例としてアオスジードラーをとれば、彼らがドイツに受け入れられてきたのは、しばしば誤解されているように、単にドイツ人の血を引いているという理由によるだけではないからである。こうした観点から本書の第5章以下ではユーバージードラーや庇護申請者などが個別に扱われているが、全体の流れを鳥瞰するために、ドイツにおける外来民の歴史が第1章でスケッチしてある。18世紀から19世紀のドイツからのロシアやアメリカへの移民についてはかなりの研究蓄積があり、19世紀末から第二次世界大戦終結までドイツで就労した様々なタイプの外国人労働者に関しても研究が進んでいるが、改めて断るまでもなく、本書では統一ドイツにおける外国人を中心とする外来民の考察に主眼があるので、スケッチとはいってもその視点からなされている。そのため、第二次大戦以後についてはやや詳しく説明されているのに対し、それ以前についてはかなり簡略になっていることを付言しておきたい。
ところで、第1章と第3章以外は1995年以降主に『社会科学論集』(愛知教育大学社会科学会)に発表した論文から本書は構成されている。いずれのテーマについても発表後に新たな研究や資料類が公刊されている。しかしそれらの成果を組み入れるには大幅な書き直しが避けられなくなることや、大筋では改める必要が感じられないので、基本的には部分的な補正を行うにとどめた。なお、ドイツの外国人問題に関しては、現状分析的な論考として、『社会科学論集』に外国人高齢者の現状や外国人犯罪とクルド労働党(PKK)に代表される過激派に関する論文をはじめとして、極右勢力、排外暴力を主題とする論文、さらにソルブ人のような土着のマイノリティに関する論文などがこれまでに発表してあり、また外国人に関わる主要なデータも集めて掲載してあるので、本書を補足する意味で参照していただきたいと思う。本書では重要と考えられるテーマのみを扱っているが、外国人に対する様々な場での差別や選挙権問題に見られる政治参加、さらには人口変動との関連など論じるべき問題は多々残されている。その意味では本書は未完であり、残る課題との取り組みは他日を期したいと思う。
振り返れば、はっきりとした見通しのないまま、本書のようなテーマに手をつけてから既に10年が経過した。第6章の原型になったアオスジードラーに関する小論をボンで暮らしていた1991年秋に書いたのが最初である。当時、難民問題が深刻の度を加えていたが、それと並んでアオスジードラーの問題も身近に感じられた。例えばギムナジウムに通った息子の親友になったのはカザフスタン出身者であり、両親は強い訛りのあるドイツ語を話したが本人は最初はほとんど話せず、ドイツ語が十分にできない生徒の特別クラスに入っていたために息子と親しくなった。また基礎学校に通ったもう一人の息子の場合、20人ほどのクラスには遊び時間になるとロシア語でおしゃべりする3人の子供がいた。
こうした事情も手伝い、この集団に興味を覚えたが、それに加え、翌年には基本法の庇護権規定改正が焦点に押し出されたので極右や難民問題に関するレポートも執筆するようになり、外来民の問題へと関心が広がっていったのである。無論、その間に住まいから遠からぬ空き地に多くのコンテナを金網の柵で囲った難民収容施設ができたことや、東ドイツから来たユーバージードラーの人と知り合ったことなどが関心を強めたのはいうまでもない。
ともあれ、このような形で本書をまとめるまでには多数の方々から助言や協力をいただいた。特に2000年の春から夏にかけて滞在したオスナブリュック大学移民・異文化研究所(略称IMIS)では快適な研究環境を提供していただいた。バーデ、ヴェンツェル両教授、マルシャルク博士をはじめ、研究所の方々に心から感謝したい。また連邦政府、州政府などの関係官庁や、とりわけ連邦、州、自治体の外国人問題特別代表部、さらに多くの研究機関や民間団体からも資料面で多大の援助を受けることができた。担当者の方々のお名前を一人一人記すことはできないが、この場でお礼申し上げたい。名古屋では定期的に中部ドイツ史研究会が開かれているが、そこに集うドイツ社会史、思想史などを専攻する友人たちからは、日頃から鋭い刺激と暖かい励ましを受けている。大学が転機に立ち、会議などで繁忙になる中、そうした緊張感のある場が研究の活力源の一つになっていることを改めて感じている。
出版事情は一向に改善の兆候が見えないといわれるが、にもかかわらず、本書のような地味な研究の出版を前著に引き続き、今回も木鐸社に引き受けていただいた。本書の出版の意義に理解を示された同社、とりわけ前回同様多大のお世話になった坂口節子さんには衷心より感謝申し上げる次第である。なお本書の出版に当たっては平成13年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けた。
最後になったが、本書の研究の途上では次々に手元に届く資料との取り組みに忙殺されていたので、生活時間の面をはじめ家族の一員としては問題行動が多かったと痛感している。そうした著者の我が儘に寛大に応対してくれ、研究を支えてくれた妻和子と子供たちに反省と感謝を込めて本書を捧げたいと思う。
2001年9月
近藤潤三